今回、義父を亡くして病院から帰宅、葬儀、火葬、繰り上げ法要までを身近に見て、当事者でありながら義理の父ということで、人の死を客観的に見られたような気がします。
病院、葬儀社、火葬場、お寺…と人の死に間近で向き合う方々には本当に頭の下がる思いでありました。
病院の看護士さんたちは遺体を搬送する直前まで、皆それぞれの仕事で動き回っていた筈なのに、エレベーターに入る時にはいつの間にか6、7人の看護士さん達が並んで見送ってくれました。
高齢者が多い病院なので、多分このような光景が月に何度もあることでしょう。
葬儀の会社は遅くの時間にもかかわらず1時間で病院に到着し、家まで搬送して祭壇とこれからの準備の説明、お寺との連絡などなど。そういう会社なのだから当たり前なのかもしれないけれど、遺族を不安にさせないよう気遣い、心配りが感じられた。
お通夜の数時間前に湯灌(ゆかん)が行われました。
映画「おくりびと」で紹介されていたいわゆる納棺という作業を遺族の前で行いました。
私は「おくりびと」はテレビでほんの少ししか見ていなかったけれど、息子たちは映画を見ていたこともあり真剣に見ていました。
初めてみるこの作業はそれは見事な物で、身体を拭いて、浴衣のような着物から真っ白い着物に着替えさせますが、その間布団を掛けた状態で我々には全く身体を見せることなく、髭を剃り髪を整え軽く化粧をしてもらいます。
死者への尊厳というのかな、長い期間の透析で痛々しい腕を人に見せることなく、随分痩せてしまった義父もなんだか元気になったようにさえ見えました。
この湯灌の作業はその葬儀社によるところもあるのかもしれませんが、私の父の時は遺族の前ではせず色々と葬儀の段取りをしているうちに終わっていたと母が話してくれた。
私の祖母の時は自宅で遺族みんなで遺体を拭いた覚えがある。
これは遺族がする事が大変なこともあって段々と業者の方が行うことになっていったのではと思われます。
葬儀に関しても、斎場は地域の公民館で行ったり、司会、進行、挨拶や、お弁当の手配など昔は町内会の近所の方々で取り仕切っていたのでしょうが、そういう付き合いも希薄になって、葬祭業者に任せることになっていったのかなあと思います。
子どもの頃、近所で不幸があると母が炊き出しの手伝いに行っていたような記憶があります。
今回、葬儀委員長を町内会長さんが引き受けて下さり、終わりの挨拶をしていただいたけれど、前日に義父の生年月日や職歴など聞きに来て当日は何も見ずに詳しい紹介をしてくれました。
後でお礼を言うと町内会長だけあって何度も葬儀委員長をしているとのこと。
それにしても町内会長さんは立派な挨拶だった。
私も義母に替わって2度挨拶をしたけれど全然だもんなぁ。
火葬場では収骨を携わる方の手際の良さ、まるで儀式のように遺族に納骨させていきます。
父の時は骨壺にお骨を無理矢理のように押し込むのが酷く抵抗があったのですが、この時はそんな感じがせず綺麗に収まったのは係の人が上手だったのか、今思えば身体の大きさも影響したのかなとも思います。
私の祖父が亡くなったのは、もう四十年も前になりますが、小さな田舎町だったけれど大きなお寺の講堂で行った葬儀には廊下まで溢れるほどの人が参列した。母が言うには祖父は町の色々な役員とかをしていたので参列者も多かった、と教えてくれましたがそれにしても凄い人数だったように思う。
現在の斎場のように椅子ではなく、前の人とのすき間もないほど敷かれた座布団が敷き詰められて、私を含め子どもたちも足がしびれながらもお経を聞いて、焼香もしていたんだなあと思い出されます。
お葬式の形態は随分替わってしまった気がするけれど、死者を弔う気持ちは何時になっても変わらないのでしょう。